七転び八起き
千波留さん、ありがとうございます。
願いを込めて目の前に置いています。
盆栽と人
盆栽というものの面白さは、それ自体はただの木であるところにあります。
山野草や蘭も園芸の一分野として古くからあるものだと思いますが、それらは希少性や独特の模様など、その植物の種類に価値が置かれます。
そのうえでいかに健康に美しく育て、その種の魅力を表現できるかが栽培者の腕前です。
それに対して盆栽は、例えば庭に紅葉が芽生えているのを偶然に見つけて、それを鉢に上げて仕立てればいつの間にか数十万の値が付くような盆栽になります。
それがただの鉢植えになるか一流の盆栽になるかは手入れする人間の腕前次第なのです。
盆栽に限らず、植物は思い通りになりません。
貴重だからと高級な鉢に最良の土に仕立てて、一番日当たりのいいところに置いたものほど調子を崩したり枯れてしまったり、逆に、これなら枯れてもいいかと寄せ植えにして雑草まみれで放置した鉢で、目を見張るような成長をとげている木もあります。
誰が雑草まみれで荒れ放題の鉢で調子のよくなる木があると思うでしょうか。
雑草に囲まれることで、冬は霜から守られ、夏は過度な乾燥を防ぐのです。
どれだけ期待しても折れるものは折れます。どれだけ見捨てられても伸びるものは伸びます。
どこに成功があるかはわかりませんし、どこに失敗が潜んでいるかはわかりません。
何気ない日常のどこにヒントがあるかもわかりません。
この盆栽の事例は人間に通じるところがあると思います。
無理してわかったこと
推薦入試を受ける前は毎日毎日、時間が足りないと焦っていました。
推薦入試直前の1ヶ月は通常の勉強と小論文などの勉強を並行して進めるので、毎日帰ってきたときにはフラフラでした。
それが終わった今は、こんなに時間ってあるものなんだと感じる毎日です。
その日のうちに終わらせたかったことの半分も終わりませんが、それでも推薦入試前の日々と比べると進み方が全く違いますから、一日の最後には満足できます。これだけでも推薦入試を受けた意味がありました。
皆平等に1日は24時間です。使い方次第だと思いました。
たまには無理してみるものだと思いました。
なんだかなあ
わかりやすいというだけが「いい授業」の基準だというのはどうかと思います。
確かにそれは受験戦争を生き残るには有利に働く授業ですし、楽に点を取れる優秀な授業なのだと思います。評価される授業です。
てんで何を言いたいのかわからない授業をする先生がいます。
大谷選手を褒めたくるメディアへの文句を言っているかと思えば、次の瞬間にはリーチマイケル選手への絶賛です。
これでは点は取れません。実際、この先生の科目は皆大嫌い。悲惨な平均点です。評価されない授業です。
でも、その訳のわからない話の意味を考えてみるのもアリなんじゃないでしょうか。
数学でぼくには到底取れない点を取る同級生に数学とはなんぞやと問いかけて、はっきり答えられる人が何人いるかなと考えてしまいます。
先生の話す昔風の義理人情は誰にも通じません。
合理主義的な社会はどうにも気が合いません。
近道をしようとして遠回りをしている気がします。
それなのに苦手な近道をしようとして、実際はあまり進んでいないことに気付きました。
はじめから自分の思うようにしていれば良かったなと。
でも、それこそこの高校生活で学んだ1番のことだということにも気づきました。
そんなことを、久しぶりに開いた寺田寅彦先生の随筆を読みながら思いました。
ひとりで歩く東京は大きかったです。
母
ぼくが夕飯を食べるのを見届けると、母は倒れるように寝てしまいました。
毎日欠かすことなくお弁当を持たせて、父、ぼく、弟の三人を送り出してくれます。
高校一年生の弟が厳しい運動部に入ってからは休日も早くから準備する音が聞こえます。
詳しくは知りませんが、毎日仕事に走り回っています。
思えば、ぼくに残る一番古い記憶の中の母も仕事人です。
取引先に向かう車中で話しているぼくと母。
すぐに携帯が鳴って会話は途切れます。
幼いぼくにとって、携帯電話は母との時間を奪う魔物であり、不幸製造機でした。
携帯によって仕事の世界に引きずり込まれた母はいつも作り声で、ややこしそうな話ばかりして、電話を閉じるとため息ですから、当時のぼくにも母がストレスでいっぱいなのはわかりました。母の携帯はずっと鳴っていました。そんな毎日でした。
そんな母を見ているのが辛かったです。
その頃の、いつも追い詰められているように見えた母と比べると、今の母は本当に明るくなりました。
大変そうだけれど、前を向いて頑張っている気がします。
疲れているようなのでちょっとでも楽になるかと皿洗いを済ませて、台所の整理をしていると、ふと思うのです。
何ヶ月後かのぼくは、ちょっと気づいて「洗い物くらいしとくかー」、なんてこともできないない日常を生きているんだなと。
受験の結果がどうであっても、今の志望校は全て家から通えません。
生まれてからずっとこの家で、この土地で育ちました。それが当たり前にあるものだったのに、間もなくその環境を出ていくのだと実感する瞬間が不意にあります。
毎日があっという間に流れていくけれど、この時間を大切にしたいです。
ふと寂しがる母の顔で思い出したことがいくつかあったのでした。
楽しんでくれますように
祖父母宅に集合しているいとこたち。
しかし、遊ぶことが少なそう。
受験生であるからして、日中は相手もしてあげられない。
ゲームばっかりしているので、明日はぼくの小中学生だったころの遊びを体験してもらおうと、「ゲルマラジオ」「FMワイヤレスマイク」の工作を企画しました。
そこで、勉強が忙しくて随分を開いていなかった工作箱を出してくると、面白そうなものが出てくる出てくる。
間違いなく歓声を呼ぶインパクトナンバーワンの「プラズマボール」を調べてみると、他に部品を転用していてあちこちが足りていません。
そこで、すっかり忘れた回路を調べ直して試行錯誤を繰り返しますが、これがうまくいかない。
ようやく完成した頃には深夜3時。
まずい。やばい。勉強が・・・
でも、久しぶりの自作のものが動くこの感動。懐かしいオゾンの匂い。
さぁ、明日も頑張るぞ。
夕飯まで勉強、祖父母宅に向かって夕飯をいただいた後、楽しい工作会です。
楽しんでくれるといいな。
魔法の箱
「あのおばあちゃん、どないしてるかな」
通っていた小学校の近く、細い公道沿いの小さな古い家。
道の端ぎりぎりに高い塀があって、小さな庭から紅葉の枝が勢いよく飛び出してきている。
白線すれすれに、いや、白線をはみ出しているものもあった気がする。
角という角が削れてボロボロの発泡スチロール箱にいっぱいの土が盛られ、その上にはキュウリや玉ねぎ、トマトに菊まで、それは見事に青々と茂っている。
そんな魔法のお手製野菜鉢が並んでいた。
自転車で学校近くの公園に向かいうときに目にする家を囲う野菜たちは、小学生のぼくの恰好の観察対象となった。
いつもそこで立ち止まっては、狭い発泡スチロール箱で野菜たちがどこの畑よりも生き生きと育つ魔法を暴こうと、土やら種目ごとの置き場所、支柱の立て方までじろじろと観察していた。
今思えばかなり怪しい小学生である。
ある日、いつものようにそれを楽しみに自転車をこいでいると、例の家の前にはおばあさんがいた。
小学生のぼくには八十歳くらいに見えた。
思い切って声をかけてみた。
当時の引っ込み思案のぼくを思うと、かなりのチャレンジである。
「これ、どんな土を使ってるんですか」
「その辺に売ってる、普通の腐葉土やらなんやらや。特別なもんなんか使ってへんで」
そこから、詳しいノウハウを、かれこれ一時間くらいかけて聞き出した。
最後にはキュウリももらった。
帰って塩で食べると、それはもう、最高の一言である。
学校で担任の先生ともまともに面と向かって話せなかったぼくであるが、好きなことになるとそんなことはどこかにいってしまうのが不思議だった。
本当に丁寧に教えてくれた。にこにこと親しみやすい笑顔のおかげで楽に話せた。
彼女の教えは徹底して「その辺のものを上手に使う」であった。
次の日から発泡スチロールを探し回って、庭で試行錯誤の毎日が始まった。
なかなか上手くいかなかったけれど、あの経験は今の自分の根の一本だ。
今日、勉強にくたびれてダラダラと自転車をこぎながら、久しぶりにそのお家の前を通りかかった。
もう魔法の箱はひとつもなかった。
白線の内側を占めていた箱の列がない道は、ぼくにはあまりにも殺風景だった。
「あのおばあちゃん、どないしてるかな」
元気にしているといいだけれど。
二度と会えないかもしれないけれど、あの経験はぼくが死ぬまでぼくの一部だ。
あの日も、今のような蒸し熱い夏の日だった。