見逃していたもの
好きなことを得意分野にしている人ほど強いものはないと思う。
しかし、苦手なことを得意分野にした人は、全く違う強さがあると思う。
それは、一番身近な職である学校の先生方に多いことに気がついた。
先生が前でお話しされるのは数えきれないほど聞いたけれど、聞き入ってしまうような話を出来る先生ほど、昔は引っ込み思案で前に出ることがなかったと仰る先生が多い。
自分でつかみ取ってきたものには、それにしかない力があるはず。
地道さもひとつの能力だと思った。
世の中には天才型と努力型の人がどちらも欠かせずに必要だと思うけれど、それはひとりの中の分野にも当てはまると思う。
つまり、本来持って生まれた能力と、努力で獲得した能力によっての相乗効果が必ずあるはず。
ここからは全く別の話ですが、通学路沿いの老人ホームの前を通りかかった時のことです。
大きなガラス戸越しに、ひとりのおじいさんが外をぼーっと眺めていました。
ほんの数秒だけ目が合いました。
建付けて間もない清潔なガラス戸を通して見るおじいさんの目から確かに伝わった表情が頭から離れません。
たったひとりで外を眺めるおじいさん。今まで日本を背負って、ぼくらに繋いでくださった。その人生の重みが佇まいに現れていて、そのまっすぐな視線の中に見えた何とも言えない寂しさ。寂しさだけではない何か。
しかし、決して今の生活が楽しくないようには見えなかったのです。満たされたものの隙間から見えたのです。
それだからでしょうか。完全に焼き付いてしまって、ずっと離れません。
↓お茶会in京都の帰り