古典の勉強から
学校の古典の課題で出てきた「方丈記」の一節です。
こんな状況がかつての日本ではあったのだと驚きました。
しかしよく考えると、ここで登場する養和の飢饉のような大飢饉は、日本も含めた人類の歴史で絶えずあったはずです。
文中でも、京への食糧供給は地方に頼りきりだったため、それが途絶えるとどうしようもなかったと鴨長明は残しています。
この状況、今の日本でも変わらないのではないでしょうか?
よく騒がれる低すぎる食糧自給率の話を考えると、話が日本国内から日本対世界になっただけで、それが天災、人災、戦争、外交関係などなどの状況によって突然に切られてしまうと、悪魔の大飢饉を思い出すことになります。
鎌倉まで遡らずとも、近代ですら食糧不足は数えきれない程ありました。
つまり今こそ、食料確保も安全保障分野の最重要課題のひとつであることを思い出し、生かし切れていない日本の農水を120%活用することが必要です。
それを鎌倉時代の随筆に気づかされました。
今の飽食と呼ばれる日本では、飢え死んでいく苦しみは想像もできません。
ぼくも、生まれてから一度も食べ物で困ったことはありません。
しかし、ぼくらが実はその危機を決して遠い世界にいないことを思い出さないと、大変なことになってしまいます。
まったく困りごとのない時に真剣に備えておかないといけないから安全保障は難しいのだと思います。しかし、気づいた時には遅いことは歴史が証明しています。
今に潔くいてはいけませんね。
それにしても、国語の古典分野の勉強は本当に大好きです。
何のバイアスもかかっていない文章を読めるからというのもあるかもしれません。
唯一、問題が変わることのない教科ですし。
遥か先輩の文章は難しいけれど、今のぼくらと考えていたことは同じなんだと思うことが多々あり、難しいけれど楽しい教科です。