たかひろが考えて、考えて、考える!

青山繁晴さんの独立講演会で出会った方々に心を動かされて始めたブログです。 みんなで青山さんと一緒に考えて、考えて、考えましょう!

模擬試験

 明日は模試。

ここで点を取れなきゃ意味がない。ということで、がんばります。

 

 国語の先生が、君たちには書かないで眺めて覚えようとする、つまり一番楽で労力がかからない方法で乗り切ろうとする人が多すぎると仰っていました。

その先生は必ずテストの返却が長い長いお説教とセットになっているのですが、ぼくはこれを聞くのが苦痛でなくて、むしろ好きなのです。

人を叱る人ほど優しい人はいません。

 たしかに、ぼくの学校にはそんな生徒が多いです。

それは、書くという作業をするしないということに限らず、すべてにおいてです。

それが国立大学や有名な私立大学にみんな合格したいと言う割には、先輩方で進学先がその望み通りになっている人数が非常に少ないことの理由の一つではないかと感じています。

これがもし、みんなが初めから行きたいと言っている進学先と結果とが合致しているならなんとも思わないのですが、あまりにも理想と結果が離れています。

実際に、みんなが行きたいと言う国立大学に進学した先輩は数パーセントで、その内訳もほとんどが地方大学です。

初めからそこに行きたいと目標をもって勉強していたなら全く素晴らしいと思うのですが、同じ市内の同じ県立高校。勉強している内容も同じ。受験する試験問題も同じ。

そうにもかかわらず、かなりの割合の生徒が有名大学に進学する学校もあれば、ぼくらの学校のような学校もあります。

高校なんて中学の時点での成績の輪切りでしかないのですから、これは言い訳にはならないと思います。

部活動もで結果が出ないことに関しても同じです。

枠がある中での競争で、するべきことは同じなのですから、周りと自分たちを比べて考える必要があります。

 そのヒントをこうして先生が言葉に挟んで発信し続けているにもかかわらず、それを汲み取れているいる人が何人いるのか。

逆に、生徒の能力をどう伸ばすのかを本気で考えている先生が何人いらっしゃるのか。

甲子園に行ける野球部と行けない野球部の違い。そんなところにもヒントが転がっているはずです。

 はたして、宿題を山ほど出すことが正しいのか。定期試験の問題数の量をどうするのか、つまり時間内に解ける試験か、見直しまで手の回せる試験にするのか。テスト後に解き直せる量にするのか。プリントを大量に印刷して配ることが正しいのか。山のような課題を出す結果として、解ききれない人は答えの丸写しを始める。

 それらへの愚痴を仲間内に満たしていく生活が正しいのでしょうか。それを先生に直訴しにいく生徒がいるのでしょうか。

先生に向かい合うことが必要です。もちろん、自分も含め。

化学の先生の「おまえら、なんでいちゃもんつけへんねん。言わなあかんぞ。教員はいちゃもんつけられへんかったら成長せんけぇなぁ。」

これがただ文句を吐き続けろということと根本的に逆のことかをわかっている生徒がほとんどいません。

 予備校状態になっている現在の普通科高校です。

ただ出勤して義務である授業を演説して帰る先生。

部活>授業の先生。

いかに生徒が望むレベルの学校に行かせるかを考える先生。

勉強も、それ以外も、生徒が生きていく上で必要な知識、能力、生き方のヒントまでを散りばめていく先生。

先生も十人十色です。

 それらすべてに含まれるヒントを整理して自分のものにしなければならないのだと思いました。

「貰えるもんは全部貰わな損やん!」

面白い大人で溢れている世の中です。それを活用しない手はありません。

 

 そして思い出しました。

明日は8時半から16時40分まで模試を解き続けるということ。

今すべきは今すぐ寝ること。

根拠をもって休息のとっていくことことが今の自分に一番欠けていることに今気づきました。

 

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