たかひろが考えて、考えて、考える!

青山繁晴さんの独立講演会で出会った方々に心を動かされて始めたブログです。 みんなで青山さんと一緒に考えて、考えて、考えましょう!

闘うこと

f:id:takahiro1108a:20171125202931j:plain

 

www.sankei.com

www.youtube.com

 

www.youtube.co

 

 東大全共闘との討論会に行く際、警視庁からの警護の申し出も断り、盾の会からもひとりも連れてこなかった三島さん。腹巻に短刀と鉄扇で乗り込んだそうな。

 

天皇ということを口にするだけで汚らわしいのならば、この二時間のシンポジウムの間にあんなに大勢の人間がたとえ悪口にしろ天皇なんて沢山言ったはずがない。

言葉は言葉を読んで翼をもってこの部屋の中を飛び回ったんです。

この言霊がどんなふうに残るかは知りませんけれども、その言葉を言霊をわたくしはここにとにかく残して去っていくんで、これも問題提起に過ぎない。

わたくしは諸君の熱情は信じます。

これだけは信じます。

他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということをわかっていただきたい。」

 

f:id:takahiro1108a:20171125204253j:plain

(以下、青山繁晴さんの講演会で出会った池田さんのブログより引用

 勝手に引用して失礼します。)

自決なさったことは紛れもない事実です。
でも
私はずーと三島氏の自決理由の報道に納得できませんでした。

市谷で三島氏が読み上げた「激」を要約すると
天皇を頂点とした日本の伝統と文化を護ること」が日本を護ることだ!
...と仰っています。
で、マスコミの言う「クーデターを企てて自衛隊に裏切られた」の説

本当にクーデターを企てていたのなら
何故、市谷の駐屯地に乗り込むことをご自分が設立した「楯の会」の
メンバーに知らせなかったのか?
市谷に出向いたのは三島氏と同時に自決した森田必勝さんを含めて
たったの5人
そのうちの3名には「ありのままを後世に語り継いでほしい」と
傍観者を命じて居られます。
83名いたと聞く楯の会のメンバーは何も知らないまま一か所に集められ
....その結果、完璧なアリバイが成立
警察の事情聴取を受けただけで全員が無罪放免され
若き会員達の就職や社会生活での支障を最小限に食い止めています。
配慮の行き届いた計画でした。

私は三島氏が自衛隊と共にクーデターを試みたのではなく
日本国憲法はクーデターを起こしてでも改めねばならぬ」と
広く日本国中に訴えたかったのだと思っています。

当時のマスコミや知識人(本物の知識人か否かいまだ不明)の
三島氏に対する誹謗中傷が彼の死を貶めようと溢れているのも見ました

1971年6月
フランスのパリで三島氏を追悼する「憂国忌」が
詩人のエマニュエル ロラン氏を始め黛敏郎氏他日本人有志と
フランス人の有志の主催で執り行われたのも覚えています。
続いて
イタリアでも「憂国忌」が開催され作家の宮崎正弘氏が招かれた
...と追悼なさっていました。

(引用終わり)

f:id:takahiro1108a:20171125200137j:plain

 

 三島さんについては、みなさんそれぞれに意見をお持ちだと思いますが、自らその命をもって日本に残そうとしたものは今も残っています。

三島さん独特の、いかにも裕福な家で育ったインテリという口調のまま、あの大声で、自衛隊員の怒号が飛び交う中、必死に訴えたこと。

当時の自衛隊員には届かなかったけれども、今こうしてぼくは聞いているし、きっとぼくだけではありません。

 

 それにしても、考え方で交わることのできる部分は一切ありませんが、三島さんに正面からぶつかっていく全共闘の学生たちに学ぶべき部分もあると思うのです。

いま、「ばかやろう!」って叫ぶ学生って、少なくともぼくの周りにはいません。

喰ってかからないといけません。

いい子って、本当にいい子なのか。

このやろう、ばかやろう、で大人とぶつかることもないといけないのかなと思っています。

安全地帯で先生の愚痴を延々と並べて、先生の前ではペコペコして。

それで国がよくなるのか。

そして、勉強はしないといけません。

f:id:takahiro1108a:20171125212049j:plain