魔法の箱
「あのおばあちゃん、どないしてるかな」
通っていた小学校の近く、細い公道沿いの小さな古い家。
道の端ぎりぎりに高い塀があって、小さな庭から紅葉の枝が勢いよく飛び出してきている。
白線すれすれに、いや、白線をはみ出しているものもあった気がする。
角という角が削れてボロボロの発泡スチロール箱にいっぱいの土が盛られ、その上にはキュウリや玉ねぎ、トマトに菊まで、それは見事に青々と茂っている。
そんな魔法のお手製野菜鉢が並んでいた。
自転車で学校近くの公園に向かいうときに目にする家を囲う野菜たちは、小学生のぼくの恰好の観察対象となった。
いつもそこで立ち止まっては、狭い発泡スチロール箱で野菜たちがどこの畑よりも生き生きと育つ魔法を暴こうと、土やら種目ごとの置き場所、支柱の立て方までじろじろと観察していた。
今思えばかなり怪しい小学生である。
ある日、いつものようにそれを楽しみに自転車をこいでいると、例の家の前にはおばあさんがいた。
小学生のぼくには八十歳くらいに見えた。
思い切って声をかけてみた。
当時の引っ込み思案のぼくを思うと、かなりのチャレンジである。
「これ、どんな土を使ってるんですか」
「その辺に売ってる、普通の腐葉土やらなんやらや。特別なもんなんか使ってへんで」
そこから、詳しいノウハウを、かれこれ一時間くらいかけて聞き出した。
最後にはキュウリももらった。
帰って塩で食べると、それはもう、最高の一言である。
学校で担任の先生ともまともに面と向かって話せなかったぼくであるが、好きなことになるとそんなことはどこかにいってしまうのが不思議だった。
本当に丁寧に教えてくれた。にこにこと親しみやすい笑顔のおかげで楽に話せた。
彼女の教えは徹底して「その辺のものを上手に使う」であった。
次の日から発泡スチロールを探し回って、庭で試行錯誤の毎日が始まった。
なかなか上手くいかなかったけれど、あの経験は今の自分の根の一本だ。
今日、勉強にくたびれてダラダラと自転車をこぎながら、久しぶりにそのお家の前を通りかかった。
もう魔法の箱はひとつもなかった。
白線の内側を占めていた箱の列がない道は、ぼくにはあまりにも殺風景だった。
「あのおばあちゃん、どないしてるかな」
元気にしているといいだけれど。
二度と会えないかもしれないけれど、あの経験はぼくが死ぬまでぼくの一部だ。
あの日も、今のような蒸し熱い夏の日だった。