たかひろが考えて、考えて、考える!

青山繁晴さんの独立講演会で出会った方々に心を動かされて始めたブログです。 みんなで青山さんと一緒に考えて、考えて、考えましょう!

楽しんでくれますように

 祖父母宅に集合しているいとこたち。

しかし、遊ぶことが少なそう。

受験生であるからして、日中は相手もしてあげられない。

ゲームばっかりしているので、明日はぼくの小中学生だったころの遊びを体験してもらおうと、「ゲルマラジオ」「FMワイヤレスマイク」の工作を企画しました。

そこで、勉強が忙しくて随分を開いていなかった工作箱を出してくると、面白そうなものが出てくる出てくる。

間違いなく歓声を呼ぶインパクトナンバーワンの「プラズマボール」を調べてみると、他に部品を転用していてあちこちが足りていません。

そこで、すっかり忘れた回路を調べ直して試行錯誤を繰り返しますが、これがうまくいかない。

ようやく完成した頃には深夜3時。

まずい。やばい。勉強が・・・

でも、久しぶりの自作のものが動くこの感動。懐かしいオゾンの匂い。

さぁ、明日も頑張るぞ。

夕飯まで勉強、祖父母宅に向かって夕飯をいただいた後、楽しい工作会です。

楽しんでくれるといいな。

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魔法の箱

 「あのおばあちゃん、どないしてるかな」

 通っていた小学校の近く、細い公道沿いの小さな古い家。

道の端ぎりぎりに高い塀があって、小さな庭から紅葉の枝が勢いよく飛び出してきている。

白線すれすれに、いや、白線をはみ出しているものもあった気がする。

角という角が削れてボロボロの発泡スチロール箱にいっぱいの土が盛られ、その上にはキュウリや玉ねぎ、トマトに菊まで、それは見事に青々と茂っている。

そんな魔法のお手製野菜鉢が並んでいた。

自転車で学校近くの公園に向かいうときに目にする家を囲う野菜たちは、小学生のぼくの恰好の観察対象となった。

いつもそこで立ち止まっては、狭い発泡スチロール箱で野菜たちがどこの畑よりも生き生きと育つ魔法を暴こうと、土やら種目ごとの置き場所、支柱の立て方までじろじろと観察していた。

今思えばかなり怪しい小学生である。

 ある日、いつものようにそれを楽しみに自転車をこいでいると、例の家の前にはおばあさんがいた。

小学生のぼくには八十歳くらいに見えた。

思い切って声をかけてみた。

当時の引っ込み思案のぼくを思うと、かなりのチャレンジである。

「これ、どんな土を使ってるんですか」

「その辺に売ってる、普通の腐葉土やらなんやらや。特別なもんなんか使ってへんで」

そこから、詳しいノウハウを、かれこれ一時間くらいかけて聞き出した。

最後にはキュウリももらった。

帰って塩で食べると、それはもう、最高の一言である。

学校で担任の先生ともまともに面と向かって話せなかったぼくであるが、好きなことになるとそんなことはどこかにいってしまうのが不思議だった。

本当に丁寧に教えてくれた。にこにこと親しみやすい笑顔のおかげで楽に話せた。

彼女の教えは徹底して「その辺のものを上手に使う」であった。

次の日から発泡スチロールを探し回って、庭で試行錯誤の毎日が始まった。

なかなか上手くいかなかったけれど、あの経験は今の自分の根の一本だ。

 今日、勉強にくたびれてダラダラと自転車をこぎながら、久しぶりにそのお家の前を通りかかった。

もう魔法の箱はひとつもなかった。

白線の内側を占めていた箱の列がない道は、ぼくにはあまりにも殺風景だった。

 「あのおばあちゃん、どないしてるかな」

元気にしているといいだけれど。

二度と会えないかもしれないけれど、あの経験はぼくが死ぬまでぼくの一部だ。

あの日も、今のような蒸し熱い夏の日だった。

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受験勉強の夏

 2018/08/05

受験生の夏休み

 宝塚でのお祝い会に招かれ、おいしい天ぷらの後にお参りしたのが聖天さん。

なんだか、学校の校外学習のようです。

手入れの行き届いた墓地は、今にも飛んでいきそうな零戦に見守られています。

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 真夏の青空を背にする零戦に、

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 午後の日差しが心地良いなかで、こっそりと練習なさってきた成果を披露なさいました。

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かなり画質は悪くなってしまったけれど。

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 いただくアドバイスにも、雑談のなかにも、参考になる言葉や元気が出る言葉があふれています。

多くは語らずとも、皆さんがそれぞれの場所で自身の役割を果たしています。

どうでもいい会話に見えても、気をつけて聞いてみるとその方の人生がほんの少し垣間見えます。

池田さんのおっしゃる通り、ひとつのことを続けるというのは簡単なことではありません。

その見本をたくさん拝見して、今の自分には大変良い刺激になりました。

 夏休みもあと20日程です。

刻一刻と試験は近づいてきますが、泣いても笑っても時は満ちます。

後悔だけはしたくない。

 

避難勧告も

 避難勧告の知らせに携帯が鳴り響いています。

河川敷も沈んでしまって、ここまでの増水するのは久しぶりです。

心配です。

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左右の河川敷はすべて水没。

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JRの鉄橋も橋脚ぎりぎり一杯まで水がきています。

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先人たちは治水に努めてきました。

新聞なんていらない。肝心なことが載ってない。

 やっぱり見る気が起こらない国会ではいけないと思う。

夕飯を食べているときにその日の国会の、メディアが切り取った部分が流れていた。

母に

「これやったらお母さんが議員したほうがよっぽどましちゃう?」

もちろん冗談で言うと、めっちゃ怒られた。

「まし」ってなんや!!と。

 確かにその通り、自分の身近な人々が議員をする方がよっぽど日本がよくなると思う。

なすべき仕事をしている議員さんの努力がもっと生かされる国会が必要だと思う。

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現実

 緊急の全校集会が開かれた。

 1年生の後輩が亡くなった。

何の関わりもないし、顔を見たことがあるのかすらわからない。

黙祷の間、女の子のすすり泣く声が漏れていた。

1年生だけ体育館に残され、2,3年生は教室に戻るよう指示された。

1年生の残るなか、体育館を出ていく同級生たちは騒がしかった。笑顔の子もいた。いつも通り、よくからない楽しそうな話をしていた。彼らの世界に戻っていた。

亡くなった後輩を知っている子に詰め掛けて盛り上がっている子もいた。

もちろんそうでない人もいる。

しかし、体育館を去っていく集団を一番後ろから眺めていると、大半の人間がそのような様子だ。

教室に戻ると、信じがたい会話も聞こえてきた。ちょっと、ここでは書けない。

正直、手が出かけた。

 人間なんて、そんなものだ。

多くがそうなのだ。

同じ学校の生徒といえども所詮は他人事であり、興味もない。悲しんでいる人間に気を遣うことすらできないのだ。

今、隣の命が失われたとき、同じようにいられるのだろうか。同じ台詞を発せられるか。

それが聞こえてきて、平気でいられるのか。

 同じ国の国民が拉致されていても気にならない。100年にも満たない過去に死んでいった先祖のことなど気にならない。毎日流れてくるどこかの誰かが亡くなったというニュースなど気にならない。

そんな状況を「平和」と呼ぶ。

それが「自分たちにとっての平和」でしかないことに気づきもしないでいるのである。

そんな状況を不思議に思っていた自分こそ馬鹿だった。

それはそうだ。同じところに通う数歳違いの生徒が亡くなった時ですらこうなのだから。

 そしておそらく、客観的に見れば自分だってそうなのだ。そんな一面は誰にでもある。

人間の恐ろしい一面を見た日だった。

 もちろん、意見が一致した友人もいた。ほんの少し。

少数派である。

ぼくは気の合うと思える人が少ない。

でも、決していないわけではない。

自分の先の人生が少し見えた気がした。

たぶん、少数派のままで死んでいく。

それでも、自分の人生に満足できなかったということには絶対にならないと思う。

少数というのは0ではないのだから。自分の信じるものに生きていきたいと思っているから。

 生きているなら誰でも、その1秒後には死んでいるかもしれません。