自分のために生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない
学生の仕事、義務、そして権利ですから、全力で取り組んでいます。
自分が、学校の勉強に集中していられる環境にいることには感謝しかありません。
ただ、受験勉強には納期がありますから、今のままでよいのかという一つの壁、と言うよりは信号機のようなものでしょうか。
今の自分の勉強の状況をみてみると、やり方を考えねばならない時なのかもしれないと思っているのです。
この期末試験が終わると、一年生も終わりです。この場所に立ったところで全体を振り返ってみると、ただ定期試験に追われて、詰め込みに詰め込みを繰り返してきただけであることに気づきました。
その先に何が残っているのかを想像すると、ちょっとこれは「やばいかも」と。
危機感です。
あと二年の納期で結果は出てしまうのですから、今のままでは間に合いません。
量を単純にこなすだけでは間に合いません。
ただただ、量だけこなしていたことに気づきました。
本当は、高校生のうちにしておきたいことが沢山あります。
この時期にこそ、なによりストリートスマート、つまり、現場を歩く。
作りたいもの、表現したいこと、調べたい事、読みたい本、映画、
これらは、もちろん限られた時間に工夫して進めるしかないのですが、ほとんど何もできていません。
何を言いたいのかというと、自分の個性が日に日に薄くなっている気がするのです。
「自分」というものを見失いかけるときがあります。
青山さんが受験勉強をやめられた理由は、国語においては「自分の読む力を失うから」と仰っていました。
もちろん、ぼくはそんなわけにはいきません。青山さんだからできたこと。
(ぼくは受験の前日に未成年大飲酒パーティーをして、作文以外は白紙、にもかかわらず通った気でいて、結果は合格に二点足らず、、という結果は、当り前ですがありえません。)
ぼくはぼくなので、当然、それでよいのです。
とにかく、恐れているのは、受験勉強は中途半端、自分のオリジナルなことも中途半端。結局三年間で何が残ったのか。
そうしてすべてが終わっていくことです。
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今考えることではないので、変わらず勉強を続けます。続きはテスト後。
とにかく、まずは目の前の試験を焦りつつも淡々とこなします。
手の動かし方は変わっていませんので大丈夫ですよ。全力で突進はしています。
ありがとうございます。
池田さんのブログ記事を読んでから、余計なことは頭からいったん追い出して頑張れているんです。